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2011年05月27日

写真家への道 -6

今日は、マイミクさんである「おだまきさん」と写真に関するお話をしました。その中で、このようなことを自分なりに拾ったので日記に書かせて頂きます。

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Chama♪も写真はご存知のように初心者ですが、その奥の深さに魅せられています。写真というものは、自分が見たものをさらにもう一段階深く見つめることが出来る道具であり、その修練の繰り返しにより、自分自身の眼差しが更に磨かれ、暮らしの中での気づきがひとつ増え、それが豊かさへと繋がっていく、そんなことを感じています。
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さて、今日はこういうものを見てみました。






おやすみなさい。


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この記事へのコメント
Chama♪さん
写真家への道-6で 
>写真は観るものを さらにもう一段階深く見つめることが
出来る道具であり、その修練の繰り返しにより、
自分自身の眼差しが更に磨かれ、暮らしの中での気づきが
ひとつ増え、それが豊かさへと繋がっていく、
そんなことを感じています…と仰っておられます
いっそう 核心に 近づいておられますね…
写真への道 が 写真<道>ともという感覚になってきています

<道>といいますと 武士道とか茶道 華道などを想い出します
”日本人は思想したか”という吉本隆明・梅原猛・中沢新一が
鼎談している本がありますが 日本には 西洋のような
巨大に連なる思想の山脈はなく 大学で出会う思想・哲学も 
西洋の思想史で 始まっていて 日本での思想に近いものは
わずかに 武士道とか茶道 華道の奥義書には 少しみられると
半ば嘆いておられますが わたしは<道> 結構ではないかと思います
道であるからこそ 座右において生活のなかに浸透しやすすさが
あるような気がします

Chama♪さんのいわれる 方向性は こと写真にとどまらず
生き方での それぞれの方向性のすべてに通じるものだと思えます
なんでもかんでもこの志向性では息苦しいのかもしれませんが
肝要な部分だけでも これを行えば 自己はリファインされますよね
ヒトの多面性のそれぞれの面が拡張をつづけ面が増え続け
やがては 完全な球体に近づくのでしょうね…愉しみです
Posted by Kiara at 2011年05月27日 09:10
こんにちは。
4~6、拝見しましたぁ。

4のおじさまたち(あ、同年代かも???^^;)、いいですね~。
ライブって、一体感が生まれ、皆でノリノリ、楽しいひととき。
最高ですわ♪
ちどり脚でも、ステージになれば!!!いいわぁ。好きだわぁ^^v

豊かな感性。
これが磨くことにより、
毎日の全てが変わり…
結果、人生そのものが豊かに…

いいですねぇ(ニヤリ

わたちも、豊かな老後のために、日々精進!(イエ~イ
Posted by ごたっこ胡蘭♀ at 2011年05月27日 11:10
■ KIARAさん

いつもしなやかで力強い指南をありがとうございます。Chama♪はそのような言葉に背中を押され前へまた進む力を貰っています。

<道>これはChama♪も好きな言葉であり、いつも身近にそれを感じています。武士道も好きだと自分では思っているのですが、本を読んでいるとすぐ眠たくなってしまい中々進みません(笑)

Chama♪が自分の芯に持っている道は、華道(池坊)です。昨年逝去した母が池坊の師範だったこともあり、幼稚園の頃からなんとなくその道を肌で感じながら育ちました。キチンと学んだことはありませんが、池坊の背骨である「真、副、体」、これが自分の中でもっとも美しい価値を見出します。これは、その母のことを書いた日記です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1611885650&owner_id=16130395
(コレmixiのひとしか見られません)

そして、写真はChama♪にとっての道具です。道具という言葉に抱く感情はひとそれぞれでしょうが、Chama♪の場合道具とは、信頼し頼るものを指します。道具はその文字の如く「道のための具(手段、従者)」ですから道に繋がるのも判りますね。そして道とは正に生き方です。

そして、球なのですね。それ、これから磨いてみます。新しい感覚ぅ、(笑)
Posted by Chama♪Chama♪ at 2011年05月27日 13:27
■ ごたっこ胡蘭さん

いつもありがとうございます。

泥酔オヤジはChama♪の一回り上、赤いちゃんちゃんこ歳です(笑
日々精進の後に、豊かな暮らしがあるのか、
いやいや、日々精進を楽しむ暮らしが、豊かな道なのか、
まぁ、まぁ、難しいことは放置して、ささ、野営だ、野営、(爆

その前に、明日ライヴだ、(笑
Posted by Chama♪Chama♪ at 2011年05月27日 13:34
Chama♪さん
お母さまのことを書かれた ブログ拝見しました
お母さまの息子さんへの思いは その命名にも
ご自分の生甲斐とされていた道に関連して
号の一字 草→茂+生と 想いを繋がれたのでしょうねえ

それにましても ある奇縁を感じましたのは
わたしの亡くなりました生母もお母さまと同名だったことです
わたしの両親は従兄妹同士 祖母同士は姉妹でした
生母は終戦後5年ほどわたしが高校のとき亡くなり
弟もいたので 父は再婚しましたが この母は出来たヒトで
わたしにいい影響をもたらしてくれ 贅沢に二人の母でした
少し話が飛びました……失礼

わたしは広告代理店にいまして 組織の一員でしたが
クリエーティブというのは 評価は外部の広告主がするという
組織にとっては治外法権的な位置関係もあって
刀の切れ味を磨いている素浪人軍団のようなところもあって
仕事ともすれば じぶんの感性も磨き放題という 
めぐまれた時間を過ごしました そう云った時間を持って
老人になった人間は ときどき自分でも持て余しますし
といって 踊りは好きでやめられないと 困ったものです

一つお願いがあるのですが もしわたしの物言いの目線が
高ければお詫びしますが 基本は この惑星の上で 年齢差は
おいておいて 縁あって 同じ時間帯に生きている同志として
共感があれば共感 違うと思えば違うと フリーに 言い合える
間柄で お付き合い頂けると 嬉しいと思っております
Posted by Kiara at 2011年05月27日 16:37
こんばんは~Kedamaです。

ぼくも「いけばな」少しかじってましたw
草月流ですけど・・・ ほんとちょびっとですけど。

草月で言うと「心」「副」「控」ですが、同じですよね。
ぼくもこれは少しですけど染み付いていまして・・・
あと、「線」「形」「空間」これも意識しています。

ぼくも写真をはじめてまだまだ日が浅いのですが(去年の10月頃?)
自分の視線・意識が変わりゆくのを感じています。
何も変わらない日常なのに・・・ 
気づいていなかった、見過ごしていた、感じていなかった・・・
ほんと知らない事だらけ!

今、最高に楽しいです。 生きるって。
Posted by Kedama at 2011年05月27日 20:25
■ Kiaraさん

Kiaraさんに感じる風、それは
受けとることと、置き去ることの平衡感覚。

恐れ入りますし、
同じ立ち位置で向き合える懐の未熟さを今尚ぬぐえませんが、
フリーに云い合える間柄、

ありがたく受けとらせて頂きます。
Posted by Chama♪ at 2011年05月28日 05:53
■ Kedamaさん

わぁ、そうだったんですか。
きっと写真の中に似たものを感じ、
Kedamaさんの写真に魅かれたのでしょうね。

しかも、写真に触れた時間の経過の短さは意外でした。
これからも、そちらを訪問させて頂き、
楽しみながら学びたいと思っています。

よろしくお願いします。
Posted by Chama♪ at 2011年05月28日 05:59
Chama♪さん

>受けとることと、置き去ることの平衡感覚…
おっしゃられまして
なにか 言葉足らずで 失礼申したかと
反省しております
Posted by Kiara at 2011年05月28日 19:24
■ Kiaraさん

 おはようございます。

 Chama♪の伝え方が稚拙でしたか、そのように感じて頂かねばならぬことをChama♪は感じていませんよ。

 「置き去る」が意図したことは、こちらに何かを投げかけることです。その投げかけは普通の形とは異なり疑問形でなく、Chama♪の目の前にそっと置いていかれる気がするのです。そしてそれが自らの気づきに繋がるので、そのような言葉を使いました。

 自分で説明しながら、自分が云っていることがややこしいなぁと思いました、(笑)
Posted by Chama♪Chama♪ at 2011年05月29日 08:21
・Chama♪さん
そうですか 安心させていただきました
わたしは じぶんで感じたことや 想うことは
じぶんサイドの事実としては こうですよと伝えて
あまり でしょう?とか ですよね!とは
いわないように 心掛けています
人と人の輪は あまりきっちり重なりあうと 暑苦しいし
差異があればあるなりに その違いに
滋味を感じる 余裕を持ちたいとおもっています
だって 違いは おどろきや感激につながります
琴線に触れたり 地雷に触れたり 
触れるは 意思にを含んでますものね
Posted by Kiara at 2011年05月29日 09:21
■ Kiaraさん

いやぁ、またいい言葉に触れさせて貰いました。
最後の二行、まさにその通りですね。

そして心がけていること、これは全く同感です。
まだ十分に出来ていないこともありますが、道が向かう場所は同じです。
出来ていないから、またこの先に道がある、
だからいいんですけどね、多分、
Posted by Chama♪ at 2011年05月30日 06:41
 
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