2011年04月24日
頑張るということ
頑張ることなんか当たり前だと思って生きて来た。
一生懸命頑張ることが当たり前。
一生懸命とは命を懸けると書くが、何かをやる時はそれくらい懸命になる。
それが当たり前だった。
多彩に関する日記を入院中に書いたけれど、俺の多彩はこの一生懸命の積み重ねから生まれて来た。
頑張ることと、色んなことに目を輝かせる興味ごころ、それが俺の源だった。
特に都会的なモノへの憧憬は昔から薄く、自然、ひとへの関心がとても高い子供だったし、今も尚それは変わってはいない。
その2点を根っこにして、アートも、音楽も、文学も、お洒落も、花を咲かせている。
一方でそれとば全く別の世界として、企業人になり既に23年も経ってしまったが、その暮らしの中では企業人としての目的に対し一生懸命走り続けた23年間であった。
企業の目的、それは利潤追求の場だと学校で教わった。
会社でもそのように教わり、そのように育ち、多くの仲間を育てて来た。
そのような中でもひととの関わりには目をいつも向け拘って来たが、物凄い勢いでの成長を目指す企業方針との狭間で生まれるGAPを埋めることが出来なかった。
結果として、幹部にコミットメントした目先のKPI(Key Performance Indicator)は達成することが出来ず、苦悩の日々でもあった。
それは、ひとを育むための時間軸と、企業が目指す利益を上げる時間軸には大き隔たりがあるからだ。
このGAPは目的の違いから来ていることに自分では気づいているが、その目的をひとつに束ねることは今後も実現できないだろう。
それは、日本という資本主義経済の中で企業が長年争ってきた歴史であり、もはやそこから抜け出すことが出来ない構図が出来上がってしまっているからだ。
この話は先日書いた日記「皮下脂肪」の話にも繋がっている。
この構図を変えるチャンスがこの震災復興の中にあると考えているのだけれど、そちらに向かう目線が企業にも政府にも一向に見えて来ない。
そのような企業に対する不信感から目を背けることが出来なくなってきた。
またそのことと今回の病にも関連があり、人生の大きな岐路に立っているんだろうなって自分で思う。
導かれているようにも思う。
話は変わるが、昨日の都知事選、大方の予想通り石原氏が再選を果たした。
俺はこのひとがどうも好きになれなかったのだが、石原氏のコメントをニュースで聞いて、そのネガティブな気持ちが少し変わりつつある。
それは、短かなコメントだったのでその本意をキチンと理解出来たわけではないが、「今我々が置かれている状況は、元に戻そうなどという甘いレベルではない。貧乏になってもいいじゃないか。力を合わせて新しい復興を目指そう」というふうに聞き取れ、それが先日の日記に書いた自分の想いと重なったからだ。
頑張ることの意味は、何を目的とするかで大きく変わる。
目的を異にする者同士がいくらその一生懸命度をぶつけあっても、話は平行線のまま終わる。
何を目指して一生懸命になるのか、それが大事だし、それはひとぞれぞれにあって良いと思う。
ただ何れにしても、こんな体になってしまったけれど、一生懸命は止められそうにない。
だた、目指すことろは大きく変わる。
そしてまた、それに向かい頑張るのだろうな、きっと。


~~~~~~~~~~~~~~~
すぐに疲れてしまう。
仕方ない、そういう病なのだから。
疲れてしまうのは悪いことではない。
疲れたらすぐに休めばいいのだ。
疲れたのに休まないから駄目なんだ。
疲れることはするだろうけれど、疲れたら休んで、少しづつ前へ歩いて行くのだ。
そういう暮らしを描けば良いだけのことなんだな。
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一生懸命頑張ることが当たり前。
一生懸命とは命を懸けると書くが、何かをやる時はそれくらい懸命になる。
それが当たり前だった。
多彩に関する日記を入院中に書いたけれど、俺の多彩はこの一生懸命の積み重ねから生まれて来た。
頑張ることと、色んなことに目を輝かせる興味ごころ、それが俺の源だった。
特に都会的なモノへの憧憬は昔から薄く、自然、ひとへの関心がとても高い子供だったし、今も尚それは変わってはいない。
その2点を根っこにして、アートも、音楽も、文学も、お洒落も、花を咲かせている。
一方でそれとば全く別の世界として、企業人になり既に23年も経ってしまったが、その暮らしの中では企業人としての目的に対し一生懸命走り続けた23年間であった。
企業の目的、それは利潤追求の場だと学校で教わった。
会社でもそのように教わり、そのように育ち、多くの仲間を育てて来た。
そのような中でもひととの関わりには目をいつも向け拘って来たが、物凄い勢いでの成長を目指す企業方針との狭間で生まれるGAPを埋めることが出来なかった。
結果として、幹部にコミットメントした目先のKPI(Key Performance Indicator)は達成することが出来ず、苦悩の日々でもあった。
それは、ひとを育むための時間軸と、企業が目指す利益を上げる時間軸には大き隔たりがあるからだ。
このGAPは目的の違いから来ていることに自分では気づいているが、その目的をひとつに束ねることは今後も実現できないだろう。
それは、日本という資本主義経済の中で企業が長年争ってきた歴史であり、もはやそこから抜け出すことが出来ない構図が出来上がってしまっているからだ。
この話は先日書いた日記「皮下脂肪」の話にも繋がっている。
この構図を変えるチャンスがこの震災復興の中にあると考えているのだけれど、そちらに向かう目線が企業にも政府にも一向に見えて来ない。
そのような企業に対する不信感から目を背けることが出来なくなってきた。
またそのことと今回の病にも関連があり、人生の大きな岐路に立っているんだろうなって自分で思う。
導かれているようにも思う。
話は変わるが、昨日の都知事選、大方の予想通り石原氏が再選を果たした。
俺はこのひとがどうも好きになれなかったのだが、石原氏のコメントをニュースで聞いて、そのネガティブな気持ちが少し変わりつつある。
それは、短かなコメントだったのでその本意をキチンと理解出来たわけではないが、「今我々が置かれている状況は、元に戻そうなどという甘いレベルではない。貧乏になってもいいじゃないか。力を合わせて新しい復興を目指そう」というふうに聞き取れ、それが先日の日記に書いた自分の想いと重なったからだ。
頑張ることの意味は、何を目的とするかで大きく変わる。
目的を異にする者同士がいくらその一生懸命度をぶつけあっても、話は平行線のまま終わる。
何を目指して一生懸命になるのか、それが大事だし、それはひとぞれぞれにあって良いと思う。
ただ何れにしても、こんな体になってしまったけれど、一生懸命は止められそうにない。
だた、目指すことろは大きく変わる。
そしてまた、それに向かい頑張るのだろうな、きっと。


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すぐに疲れてしまう。
仕方ない、そういう病なのだから。
疲れてしまうのは悪いことではない。
疲れたらすぐに休めばいいのだ。
疲れたのに休まないから駄目なんだ。
疲れることはするだろうけれど、疲れたら休んで、少しづつ前へ歩いて行くのだ。
そういう暮らしを描けば良いだけのことなんだな。
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Posted by Chama♪ at
23:32
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