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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2011年04月29日

ひとり遊び 河原~散策

2011年04月18日にmixiに掲載した日記です。

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日曜日、また一人でいつもの河原へ出かけた。
ま、恒例GWの連泊野営に向けたリハビリってわけだな(笑)
まだ風が強い日の山あいは下界よりうんと肌寒くて、朝10時、フリースでは寒かった。



でも、昼近くになると陽もぐんと高くなり、



ハンモックでくつろいでいたわけさ。



昼になったので、昼飯のラーメンを作った。
ほんと久々だなぁ、焚き火でなくストーブで調理したのは(笑)
このお手製風防がいーんだな。
市販のレギュレーターより断然効果的、お勧めですぜ、旦那。←旦那って誰よ



で、こんな感じで何の変哲もないインスタントラーメンなんだけど、やっぱこーゆーところでコッヘルで食うと、美味いんだなぁ、コレガ。
ガキの頃からやってっけど、何度やっても美味いんだなぁ、コレガ。



でその後またハンモックで、ゆらゆら~~ポカポカ~~していたら、ぐぅぐぅ眠ってしまったようで、目が覚めたら1時間以上経っていた。
ま、この病故疲れやすいことは確かで、だから寝入ってしまったわけで、これは体に優しい治療なわけで、こういうのも現在のChama♪の場合は病床と云うのだろうな、きっと、うんうん・・・ ←云わねーよっ!
実はこの後家に帰って鏡を見てびっくりすることになるのだが、いやいや、顔もおでこも坊主頭も茹でダコのよーに真―っ赤に焼けているではないか、しかも半端ねぇ。
「あちゃーっ、病人勤務しているのに、こんな顔して会社行けないなぁー」なんて思いつつ風呂に入ると、スネがめちゃめちゃシミルーッ!(><)
思わず湯船から飛び上がって空中で3秒停止した後、お湯の中にドボンって急降下してしまった。←トムとジェリーか!
で、そのスネが左足の内側だけがやけに赤くて、なんでだろ?って思ってたんだけど、この写真を見て納得したのでありました。



山あいの日没は3時頃と早いため、その時間には荷物をまとめ、マイベンツ野生仕様はサイトを後にしたのでありました、ぶ~ん。



そこから少し走ったところで道路脇に車を停め、山の急斜面のすそ野を探検するために、藪の中にガサゴソと分け入り、ガサゴソと獣のように歩いて回った。

そんなところにも、こんなに綺麗な花が咲いているのだ。
誰かに見られることを望んでいるわけでもなく、花は咲いていた。
来年も、その次の年も、その次も、そこで花は咲くのだ。
花はエライのだ!
そして花は、愛おしいのだ。



また暫く歩くと山が崩れたガレ場に山菜らしきものを発見、ひとつだけ新芽を引っこ抜いてみた。
臭いをかいでみたが、「うーん、こりゃ食べられんやろ」って臭いだったので、一応今後の見聞のために写真を撮影しておいた。
ちなみにそのガレ場の裾野の地面は鹿の糞だらけだったので、鹿も食べないってことかも知れない。
帰って調べてみたけど、やっぱり山菜ではなさそうだ。



また、こんな斜面のガレ場を暫く歩くと、



また美しい花が。





帰り道はちょっと違うルートを選んで歩いてみたんだけれど、そしたら、ギョッ!(@@;
こんなものが・・・
獣害駆除で狩られた鹿の残骸かな、この場でバラされたのかなぁ。





車に戻り敢えて遠回りをしながら車を走らせ、途中何度か車を停めては、花の写真を撮ったりして、ひとりでわくわくしていた。





ほたるみ橋公園にも行ってみた。









その後、その近くのお寺
http://www.5ksjy5.net/denshiinn.html
にも寄って、











そこに鎮座まします ”おでいにっちゃん”にも寄って、





帰って来たら、病人らしく疲れていました、おしまい。(笑)


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追伸、
実は今回から写真を少し勉強してみよっかなと思い、撮り方を少し変えてみました。
なんとなくツボが判った部分があるので、もっといい写真が撮れるよう、腕とこころを更に磨きたいと思いまーす。
  
Posted by Chama♪ at 11:37Comments(0)

2011年04月29日

どう生きて どう死ぬか

2009年10月29日にmixiに掲載した日記です。

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人生ってやつぁ、だいたい、そんなもんじゃねーのか?

いいとか、悪いとか、そんなちんけな物差しじゃなくてさ、、、

なぁ。
  
Posted by Chama♪ at 07:58Comments(4)

2011年04月28日

晴耕雨読


2009年03月01日にmixiに掲載した日記です。

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晴れたなら 畑を耕し







雨が降ったなら 家の中で本を読む








そんな気ままな生活が 将来の夢







海の側に小屋を建て 畑を耕し


海に潜り魚を突いて わずかばかりの酒を飲む


満点の星空と 波のくだける音に包まれて


生き そして 死にゆく 幸せ

  
Posted by Chama♪ at 17:28Comments(0)

2011年04月27日

夜から朝の物語



夜が終わりかけ朝を待つ空は
いつも悲しい色をしている

夜はいつどこから朝に変わるのだろう
悲しみはいつどこから喜びに変わるのだろう

ほんのり淡い単色の空を眺めながらふと想った
午前4時44分





雲がオレンジ色に輝いたとき
小鳥たちがさえずり始め
既に夜は去っていた



しかし悲しみはまだほんのりと
漂っているような気がした

  
Posted by Chama♪ at 17:34Comments(0)

2011年04月26日

春の雨に濡れた色彩

春の雨に濡れた色彩が、雨雲を通りぬけた春の陽射しを受け、しとやかに香っていました。
晴れた日には晴れた日の、雨の日には雨の日の幸せが落ちているから、それらを拾い集めてみました。
そんな写真を後ほど掲載いたします。

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この前の日曜の昼下がり、そんなことをつぶやいた。









繰り返される命の営みが、優しく風に揺れていた。







つんと澄ました風に雫が揺れる。





その風に揺られ落ちた花は、川の流れにまた揺られ、旅の途上。













全てが雫に濡れ、命が芽吹くのだ。









風は木々の間を抜け、川のように流れゆく。





そして・・・







休息。
息を吸い、ゆっくりと深く、息を吐いた。
  
Posted by Chama♪ at 14:57Comments(0)

2011年04月24日

頑張るということ

頑張ることなんか当たり前だと思って生きて来た。
一生懸命頑張ることが当たり前。
一生懸命とは命を懸けると書くが、何かをやる時はそれくらい懸命になる。
それが当たり前だった。

多彩に関する日記を入院中に書いたけれど、俺の多彩はこの一生懸命の積み重ねから生まれて来た。
頑張ることと、色んなことに目を輝かせる興味ごころ、それが俺の源だった。
特に都会的なモノへの憧憬は昔から薄く、自然、ひとへの関心がとても高い子供だったし、今も尚それは変わってはいない。
その2点を根っこにして、アートも、音楽も、文学も、お洒落も、花を咲かせている。

一方でそれとば全く別の世界として、企業人になり既に23年も経ってしまったが、その暮らしの中では企業人としての目的に対し一生懸命走り続けた23年間であった。
企業の目的、それは利潤追求の場だと学校で教わった。
会社でもそのように教わり、そのように育ち、多くの仲間を育てて来た。
そのような中でもひととの関わりには目をいつも向け拘って来たが、物凄い勢いでの成長を目指す企業方針との狭間で生まれるGAPを埋めることが出来なかった。
結果として、幹部にコミットメントした目先のKPI(Key Performance Indicator)は達成することが出来ず、苦悩の日々でもあった。
それは、ひとを育むための時間軸と、企業が目指す利益を上げる時間軸には大き隔たりがあるからだ。
このGAPは目的の違いから来ていることに自分では気づいているが、その目的をひとつに束ねることは今後も実現できないだろう。
それは、日本という資本主義経済の中で企業が長年争ってきた歴史であり、もはやそこから抜け出すことが出来ない構図が出来上がってしまっているからだ。
この話は先日書いた日記「皮下脂肪」の話にも繋がっている。

この構図を変えるチャンスがこの震災復興の中にあると考えているのだけれど、そちらに向かう目線が企業にも政府にも一向に見えて来ない。
そのような企業に対する不信感から目を背けることが出来なくなってきた。
またそのことと今回の病にも関連があり、人生の大きな岐路に立っているんだろうなって自分で思う。
導かれているようにも思う。

話は変わるが、昨日の都知事選、大方の予想通り石原氏が再選を果たした。
俺はこのひとがどうも好きになれなかったのだが、石原氏のコメントをニュースで聞いて、そのネガティブな気持ちが少し変わりつつある。
それは、短かなコメントだったのでその本意をキチンと理解出来たわけではないが、「今我々が置かれている状況は、元に戻そうなどという甘いレベルではない。貧乏になってもいいじゃないか。力を合わせて新しい復興を目指そう」というふうに聞き取れ、それが先日の日記に書いた自分の想いと重なったからだ。

頑張ることの意味は、何を目的とするかで大きく変わる。
目的を異にする者同士がいくらその一生懸命度をぶつけあっても、話は平行線のまま終わる。
何を目指して一生懸命になるのか、それが大事だし、それはひとぞれぞれにあって良いと思う。

ただ何れにしても、こんな体になってしまったけれど、一生懸命は止められそうにない。
だた、目指すことろは大きく変わる。
そしてまた、それに向かい頑張るのだろうな、きっと。







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すぐに疲れてしまう。
仕方ない、そういう病なのだから。
疲れてしまうのは悪いことではない。
疲れたらすぐに休めばいいのだ。
疲れたのに休まないから駄目なんだ。
疲れることはするだろうけれど、疲れたら休んで、少しづつ前へ歩いて行くのだ。
そういう暮らしを描けば良いだけのことなんだな。

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Posted by Chama♪ at 23:32Comments(0)

2011年04月21日

こころの皮下脂肪

日本の企業、俺が属する大企業なるものは特に、贅肉を削ぎ落とし筋肉質の経営を目指し、利益を生み出し成長してきた。
工場経営に携わった俺だからこそ事実を受け止め話すのだけれど、その過程では多くの血を流して来たのも事実。
そのような日々の繰り返しの中で、筋肉までも削ぎ落とし、従業員の血を吸いながら利益を上げている実態もある。

この震災の復興を想うとき、現在企業が復興に向け動いている目線は、もとの利益体質に可及的速やかに、且つ低コストで戻すことにある。
企業存続を考えるときその姿はあるべき姿に思えるが、そのことに違和感を感じる。

今我々が力を合わせて目指すべきは、豊かな国造りなのではないかと思う。
目指すは、再生ではなく、変革なのではないか。
勿論、企業存続なくしては生活の保証ができないのも判る。
しかし、その下支えになるひとりひとりの豊かさに対する目線を育むこと、それも同時に必要だと思うのだ。

それに向け自分がやれることをここのところずっと考えており、青写真を描いてみた。
ひとりひとりがもっと自立して、もっと逞しくなれるような青写真。
その地道な一歩を歩き出すために「只今準備中」 ←居酒屋みたいだな(笑)




第一ねぇ、国も企業も痩せ過ぎ、ひ弱なんだよね。
皮下脂肪がないと、何かの時に生き残れないんだよ。
皮下脂肪はエネルギーの蓄えなんだからな。


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蓄えよう、電力。

蓄えよう、皮下脂肪。

こころの皮下脂肪を育もう!

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Posted by Chama♪ at 03:43Comments(0)